こん☆たの

こんなことをたのしんでます、というブログ

英会話は皆が出来るようになる必要あるのか?

「日本人は英語がいつまでたっても喋れるようになれない」と、何かと問題になっていますけど、そもそも英会話って皆が出来るようにならなければならないのでしょうか?
私は疑問に感じます。

「日本人は」ということは日本列島に住む日本人全員がということですか?
周囲に外人がいない田舎に住んでる人も英会話ペラペラになる必要あるんですかね。

英会話が出来れば外国人と話せたり海外旅行をより楽しめたり、行動範囲は広がるでしょうけど、そもそも外国人と話す事ってそんなにあります^^;?

海外旅行だって、せいぜい話し相手はお店の人とか施設の従業員でしょう。
まさか現地で生活してる一般人にべラべラ話しかけるわけでもあるまい。
あとは他の海外旅行客とか。
でもユースホステルでの交流が楽しみという人じゃなければ、初対面の他の旅行客ともそんなに喋る機会は普通はなくないですか。
海外旅行で他の客にみだりに話しかけても警戒されるのがオチだと思いますけど。

日本の現状では英会話が出来ない人は大半ですけど、でも皆とりあえず仕事があって食べていけたり家族を養ったりは昔から日本人はやってますよね。
もちろん、不景気とか格差とか問題はありますけどね。

でも例えば都市部で働いてる大半の人が英会話ベラベラになったら、雇用状況がよくなって不景気も解消されて生活水準が上がり…みたいなことにはならないと思いますけど。
それに英会話達者な人が増えたら、英会話出来る事のアドバンテージもなくなっちゃいますよきっと。

学校の英語教育は「英会話出来るようになること」をゴールにするんだったら確かにダメだと思います。
でも「英語の文法を理解して読めるようになること」を目指すなら有効なのではないでしょうか?

なぜなら、日本では英会話をする機会よりも英文を読む機会のほうが圧倒的に多いからです。
たとえば英会話だったら、目の前に生身の英会話者を確保しないとできませんよね。
でも英文を読むのだったら、英語の本などを自分で調達すれば済むからです。
今だったら英語圏のYAHOOにも簡単にアクセスできて、海外の出来事をリアルタイムで知る事もできます。
しかも英文を読むのは自分の状況さえ許せばいつでもどこでも出来るじゃないですか。

英会話だったらそうはいきません。
英会話学校なら授業料と時間の制約がありますし、親しい相手でも相手の気分や都合もあります。
それに会話力よりも読解力を目指す方が、学校の授業という環境や、日本人の気質にも合っているのではないでしょうか?

それでも英語をしゃべれるようになりたい、もしくは仕事で英会話が必要な人は
各々で英会話力を身につければいいわけです。
英会話をやりたい人が自分で自由にやればいいんです。

それに外国語のスキルは一種のスポーツですから、喋れるようになっても使い続けなければ忘れてしまいます。
せっかく英会話ベラベラになっても英会話する環境を保てないと使わなくなって忘れるわけです。
日本で普通に生活してて英会話の環境に自分を置くのはけっこう難しくないですか?
英語圏出身の配偶者がいるとか、仕事で英語を使うとか、英会話マニアじゃないかぎり難しそうです。

それならば英語を読めるスキルを身につけるほうが、合理的だと思います。