こん☆たの

こんなことをたのしんでます、というブログ

人や物自体に価値は内在していない

とある有名なスポーツブランドを話題にするのですが
ブランド名をそのまま出していいものか迷うので
ここでは便宜上「A」と呼びます。
スポーツやってたりジムへ通ってる人なら
ほぼ知られているであろうブランドです。

私はジム通いをするまで、Aの存在を知りませんでした。
スポーツ用品のブランドと言えば、ナイキ、アディダス、プーマ、…という認識でした。
ミズノ、アシックスは学校の体育館履きのイメージが。

ジム通いを始めたばかりの頃、
スポーツ用品店でウェアを選ぶにあたって
店員さんにいくつか選んでもらったのですが、
その中にAのウェアがありました。

初めて見るAのロゴに私の頭上に「?」マークが。
「なんだろう、このブランド??」という印象でした。
ウェアは着心地やデザインを総合的に判断して
他のブランドのものに決めました。

そして、どんどんジム通いにのめり込み
フリーウェイトで筋トレするようになってから
Aを嬉々として着るようになったのです。

それにしても、ちょっと変じゃないですか?
運動に無頓着だった頃の私はAを見ても「?」だったのに
運動が習慣になってからはAをかっこいいと思うようになったのです。

その間、当然ですがAの何かが変化したわけではありません。
「七央美さんに気に入ってもらえる仕様に変化」などは一切してません。

私の中身が変わったことにより、
私がAに価値を見出すようになったのです。

つまり「人や物」自体に価値があると思い込んでますが
実際は「人や物」に「価値がある」と思った人がそう思い込んでる、
という要素が結構あるのです。


アイドルの○○ちゃんを熱狂的に好きなファンもいれば
そうじゃない人もいる。

自分の愛する旦那、奥さんも、職場の人にとっては
「社内のその他大勢の人」「口うるさい先輩」かもしれません。

大好きなペットの○○ちゃんも、
動物嫌いの人からすれば憎いあんちくしょうです。

そう思うとなんだか興味深いですね。