こん☆たの

こんなことをたのしんでます、というブログ

人の愚痴なんか程々に聞いとけor聞かなくていい

アナタは同僚や家族の愚痴や悪口に悩まされていませんか?

あのね、人の愚痴なんて真面目に聞かなくていいんですよ。
真面目に聞かなくても、もしくは全く聞かずに相手にしなくても、
言うほうは死んだりしません。
愚痴の他の捌け口を見つけてたくましく生きるでしょう(笑)

愚痴を言ったり聞いてもらったりは
ガス抜きとして時には必要です。
完璧な人なんていないし、聖人君子でなんかいられませんもの。

でもそれが常態化しているとよくない。
アルコールや喫煙も行き過ぎれば害になるのと同じです。
常習性があるのも一緒。

かつての職場で、ことあるごとに同僚Aの悪口を私に言ってくる同僚Bがいました。
口頭だけでなく、社内メールでも「Aがいらっとする」と送ってくるのです。
確かに同僚Aは嫌な奴でした(笑)
私もBさんはかなり追い詰められて気の毒だなあと思い
親身に話を聴いて「Aさんのこと上司に相談してみたら」とアドバイスもしました。
帰宅後もメールでBさんとやりとりまでしたり。

ですが数日後、AとBが仲良くランチに行ったり
BからAに雑談を振る様子が。
仲直りしたのかなと思ってたら、またBからAについての悪口が私に吹き込まれるのです。

そんなに悪口言うほどAが嫌なら
何故ランチに行ったり自分からAに雑談を振るのだろう?
そして私は悪口ボックスにされ、BはまたケロッとしてAと接する…。
ランチの誘いを断れないのかもしれない?
もう小学生じゃないのだし、そもそもBはそんな繊細なタイプじゃない。

真面目にBを心配して悪口を聞いてる私がバカみたいじゃないか。
そう思いました。
世の中には悪い意味で自分の常識外の人っているんですね。
しかもあからさまに悪事を働いてるわけじゃないのでタチが悪い。

しかし、かつての私は何故そうまでして同僚Bの愚痴聞き役になってたんでしょうか?
終業後にスタバで聞いてやったり、帰宅後もメールとかで!

それは、同僚Bに私自身を重ね合わせていたからです。
同僚Bを助けることによって、自分自身を助ける感覚を得たかったからです。
自分で言うなって感じですけど、私は長らく「ぼっち」でした。
両親は健在でしたし虐待などはありませんでしたが「ぼっち」だったのです。
詳細はくどくなるので略しますね。
「あんなにつらくて寂しい思いを人にはさせたくない」
「寂しい気持ちを私はわかる。目の前の寂しい人の気持ちはすごくわかる」
そういう感覚が私にはありました。
だから同僚Bの愚痴や悪口を親身に聞いていたのです。
「Bさんは一人じゃないよ、安心して」とばかりに。
しかし、同僚Bはクセモノだという事がわかってしまい
私はエエ歳こいた大人なんか見捨てても大丈夫だという事を学習したのでした。